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浦和地方裁判所熊谷支部 昭和35年(わ)81号 判決 1962年5月22日

被告人

高村猛 外二名

主文

被告人等を各懲役六月に処する。

但し本裁判確定の日から二年間いずれも右刑の執行を猶予する。

(訴訟費用の負担部分略)

理由

(争議の経過)

被告人西田および同持田は、株式会社大室木工所(以下単に会社という。)に工員として勤務していたものであり、先に昭和三二年四月頃熊谷地区一般合同労働組合が組織されるや、同会社勤務の他の従業員等とともに右合同労組に加入してその組合員となり、同時に同会社勤務の組合員をもつて右合同労組の支部たる熊谷地区一般合同労働組合大室木工所支部(以下単に第一組合という。)を結成し、被告人持田は後にその支部長に、被告人西田は後に右合同労組の委員長に、被告人高村は後にその書記長に各就任するに至つたものである。然るところ、会社は昭和三四年九月二一日頃第一組合所属の仕上工二一名に対して、従来の雇傭形態を改めて下請制に変える案を提示するに至つたので第一組合はその翌日組合大会において協議した結果右提案が実施されるときは会社と仕上工との雇傭関係が打ち切られ、仕事の割り当ては勿論労働条件が会社の恣意によつて左右されるのみならず、社会保険等の利益も一切失われることは必定であり、会社の提案は仕上工に対する実質的解雇であるとの結論に達し、直ちに会社に対しその完全撤回を申し入れた結果、会社は一応右提案の実施を一時保留する旨言明したものの、右提案を遂に完全撤回するに至らなかつたのみならず、その頃から頓に社長の甥に当る大室英二が中心となつて、会社の意を体し、第一組合所属の個々の組合員に対し組合脱退を勧誘する等、会社は第一組合の切り崩しを策するに至り、その結果第一組合から多数の脱落者を出し、遂に同年一〇月一四日頃右大室英二および伊藤留治を中心とする組合脱退者等において、伊藤留治を委員長とし、大室英二を書記長としていわゆる第二組合たる大室木工所新労働組合(以下単に第二組合という。)を結成し、第一組合の半数を上廻る員数の組合員を擁するに至つた。しかして第一組合は第二組合結成後間もなく同年一〇月末頃会社に対し、退職金支給規定の更新、年末一時金二五、〇〇〇円支給、一律一日五〇円のベースアツプ、ユニオンシヨツプ協定の締結、前記下請制の完全撤回等一〇項目に余る要求をしたのであるが、会社は年末一時金一〇、〇〇〇円支給、ベースアツプ一日五円とすることのみ承認しその余の要求は一切拒否する旨回答し、その後数次に亘つて団体交渉を重ねたにも拘らず、一向に事態の進展がなく、交渉行き詰まりの状態となつたので、第一組合は被告人等三名の指導のもとに同年一一月二四日夕刻より四八時間ストを決行し、直ちに会社の工場出入口等にバリケードを設置し、且つ所属組合員により工場内に坐り込みを行つて会社役職員および第二組合員等による操業を阻止しつつ、工場内に斗争本部を置いて四八時間ストを連続的に行うに至つたが、同年一二月三〇日仮処分の執行により先ず工場出入口等のバリケードが撤去され、次いで昭和三五年二月三日再度の仮処分執行により右工場の占拠を解かれ、且つ工場内への立入りを禁止されたのでその後は工場西隣の会社の製品倉庫に立て籠つてこれを占拠し、同倉庫東端の一隅に斗争本部を移転した。ところが会社は間もなく第二組合員をもつて操業を再開し、同年三月初頃には警備員と称する多数のいわゆるてき屋(以下単に警備員という。)を雇いこの警備員および第二組合員により折から第一組合員が行つていたピケを破つて、材料置場から材料の搬出を強行した外その後も常時五、六名の警備員を社長の居宅内に常駐させ、同年四月二五日頃以降は第二組合員をも社長の居宅に籠城させ、警備員の護衛のもとに操業を継続するに至つた。第一組合は前記二度目の仮処分の執行後は製品倉庫の占拠と会社周辺のピケを主眼として争議を続けたものの、説得による操業阻止の機会も思うようになく、争議の早期解決の見通しが立たなかつたので同年四月七日無期限ストに突入し爾来その状態を継続していたのであるが、その間にも第一組合は第二組合員等から切り崩しなどを受け、また警備員からいやがらせや示威を受けることもあつて第一組合員は平素警備員を暴力団と称しこれを憎悪していた。

(罪となるべき事実)

第一、第一組合員等は、かねて第二組合員等が第一組合員宅を個別訪問して第二組合への加入を勧誘したり、或は本件争議に関し第一組合のやり方を批判するが如き内容のパンフレットを配布したことなどに対して憤慨していたところ、被告人高村猛および同持田芳夫は他の第一組合員二〇名位の者と共に、当時第二組合の書記長であつた大室英二に対して、第二組合の前記行為は第一組合の切り崩しをはかる不当のものであると抗議しようとして昭和三四年一二月七日午前八時三〇分頃、熊谷市宮本町一五八番地の同人方居宅南側玄関前に押しかけ、被告人持田が他の第一組合員四名位と共に同家玄関で交々大室英二に対し、「話があるから来い。」と言い、これに対し同人が「大勢で来たんでは話なんかできないから行かない。」「押しかけて来て出て来い出て来いと言つたつてだめだ。ここはおれのうちだから勝手にはいつちや困る。帰つてくれ。」と返答し第一組合員等が家に入るのを再三拒否したにも拘らず一たん右玄関から引き上げたもののなおも執拗に同家北側裏口にまわり「出て来い。」などと叫んでいるうち被告人高村および同持田は第一組合員小林正作と共謀のうえ、大室英二方居宅北側勝手場入口のガラス戸を開けて被告人高村、同持田は右勝手場土間に、右小林は右土間南側の板の間に、各不法に侵入し

第二、被告人西田元治は、昭和三四年一二月九日午後九時頃熊谷市宮本町七六番地株式会社大室木工所西門附近路上において、石川五郎ほか一五名位の者が、第二組合員である大島修三を取り囲み、同人を真中にしてスクラムを組みがならぐるぐる廻つているのに加わり、右石川五郎ほか一五名位の者と共謀のうえこもごも右大島修三の腰部附近を足蹴りにし、被告人西田において、手拳で右大島修三の頭部を二回殴打し、もつて共同して同人に対し暴行を加え

第三、第一組合はストライキ開始後、熊谷市宮本町七六番地の前記会社代表取締役社長大室春吉方居宅南隣の同会社工場傍らにスピーカーを設置して労働歌などを放送していたが、右大室春吉の次女信子が盲腸炎を手術し昭和三五年一月二一日より退院して右春吉方居宅で自宅療養していたところ、翌二二日午前六時頃同女が余病を発し、危篤状態に陥つたので同日午前九時頃同女の兄である同会社専務取締役小川辰二が、第一組合支部長であつた被告人持田芳夫等に同女の病状を訴えてスピーカーの放送を中止するよう頼んだところ、同人は「放送するしないは、こちらの勝手だ」と拒絶し剰さえスピーカー一基を前記大室春吉方居宅南端から四米位の距離の中庭内に近ずけて設置し放送を続けたので、その仕打ちに憤慨した右辰二の弟大室昭三が、右中庭内に設置してあつたスピーカー一基を取りはずして右居宅内に搬入した。ところが、これを知つた第一組合員およびその家族等はこれに憤慨してその返還を要求すべく同日午後一時頃石春吉方居宅玄関前附近に押しかけ折から第一組合員等の来るのを察知して戸締りした同居宅の囲りを廻りながら「開まろ、開けろ。」などと叫び右玄関のガラス戸をがたがたゆすつたりしていたが、被告人持田および同西田は関根登雄、家泉友吉、永谷今朝雄、高柳友次郎、森勝夫、宮村昭明、志村治夫、今津義治、小林一雄、小林勝次、金井三好および福島与市らの第一組合員と共謀のうえ、偶々来客のため開いた右玄関より不法に右春吉方居宅内の廊下、六畳間および同六畳間西側の八畳間に侵入し

第四、被告人持田および同西田は、かねて第二組合の書記長であつた大室英二に対して、同人が第一組合の切り崩し工作を計つているものと考え憤まんの念をいだいていたところ、昭和三五年一月三一日夜、被告人持田及び家泉友吉、関根登雄等は、熊谷市宮本町六番地附近路上において、たまたま右大室英二に出会うや、被告人持田が同人に対し「話があるから来い。」と言つて、その頃その場にやつて来た被告人西田と共に右大室英二を西方の同町九〇番地今野作蔵方附近路上まで連行し、被告人持田、同西田は、家泉友吉、関根登雄と共謀のうえ、同所において逃げようとする大室英二に対し、被告人西田において同人のえり首を持つてつき飛ばし、家泉、関根において同人の腰部を足蹴りにし、被告人持田において同人の脚部を足蹴りにし、さらにこもごも同人の頭部を数回殴打し、もつて共同して同人に対し暴行を加え

第五、被告人持田および同西田は、昭和三五年一月三一日午後八時三〇分頃、熊谷市宮本町七六番地前記会社西南方交叉点通称ロータリー附近路上において、氏名不詳の第一組合員等六名位と共謀のうえ、第二組合の委員長伊藤留治に対し、被告人西田において同人の胸および肩部を手拳で数回殴打し、被告人持田において同人の肩部を数回足蹴りにし、さらにこもごも倒れた同人を長靴履きのままで足蹴りにしたり、頭部をひつかいたりし、もつて共同して同人に対し暴行を加え

第六、(犯行に至る事情)

第一組合は冒頭記載のように、第二組合が社長の居宅に籠城して就業するに至つたので、会社側役職員および第二組合員が出入りする社長の居宅前にピケを張ることとし、昭和三五年五月一日早朝から熊谷市宮本町七六番地の同会社社長大室春吉方居宅正門前に木製の可動式バリケード二基を設け、第一組合員を附近の路上に配置してピケを張つた。しかして被告人西田および同持田は同日夕刻第一組合員等二〇数名とともに右居宅前の路上に蝟集し、ピケを張つていたのであるが、偶々同日午後七時四〇分頃集金のため外出中の同会社取締役増田武および外出中の第二組合書記長大室英二が警備員三名に護衛されて右居宅内に入ろうとしバリケード前に差しかかつたので、待機中の第一組合員等は総立ちとなり、直ちにバリケードを閉ざし、被告人西田は増田の前に立ち塞がり、第一組合員等数名とともに増田を取り囲み、被告人持田も第一組合員数名とともに大室を取り囲んで、同人等を正門と反対側の路上に押しやり、第一組合員の一部は閉鎖したバリケードを押さえてそれぞれ増田等の入門を阻止しようとし、一方これに対し第一組合員等の囲みを解き、バリケードを開いて増田等の入門を援けようとする警備員等と正門前の路上において揉み合いとなつたが、間もなく警備員等によつて容易にバリケードの一基が持ち上げられ、その間隙からその頃第一組合員等の囲みを脱した増田、大室等が相次いで正門内に入つてしまい、剰さえバリケードを押さえていた第一組合員小林勝次が右揉み合いのためバリケードの有刺鉄線等に触れて負傷し且つ警備員より押さえつけられる等の暴行を受けた。そこで第一組合員等は会社側のものより簡単にピケを突破されたうえ、小林の右負傷を警備員の暴行によるものと考えて憤慨し、会社の責任者たる社長に対し警備員の暴行について抗議し、且つその頃現場に居合わせた警察官に対しその犯人の逮捕を要求すべく、直ちに右居宅玄関前に殺到した。

(犯行)

被告人西田および同持田は右経緯により第一組合員等とともに玄関前に至つたものであり、被告人高村は第一組合の前記斗争本部で急を聞き、右玄関前に駈けつけて事態を知つたものであるが、被告人等は第一組合員およびその頃玄関前および正門内外に集つた第一組合員の家族等四、五〇名の先頭に立ち、折柄玄関前に被告人等に対向して立ち並びいきり立つ第一組合員等を制止していた警察官三名に対し交々「社長を出せ、暴力団を逮捕しろ。」等と怒号して犯人の即時逮捕を要求したのであるが、警察官が直ちに被告人等の要求する処置をしなかつたためいよいよ激昂し、ここに被告人等は、第一組合員家泉友吉、同関根登雄、同小暮佚矢、同小林正作と現場において暗黙裡に意思連絡のうえ、第一組合員およびその家族等多数の者の喚声に和し、玄関前において被告人高村は玄関外側ガラス戸の最下段南側ガラス一枚を足蹴りにして破壊し、これに引き続いて被告人持田は玄関外側ガラス戸の上より二段目南側ガラス一枚を竹棒で叩いて破壊し、家泉友吉は玄関内側ガラス戸の上より二段目および三段目の北側ガラス二枚を竹棒で叩いて破壊し、玄関南隣の応接間前庭において同所に至つた被告人西田は同室東側、南より二枚目のガラス戸の下段ガラスのうち四枚を竹棒で叩いて破壊し、小暮佚矢は同室東側、南端のガラス戸の上段ガラスのうち三枚を竹棒で叩いて破壊し、小林正作は同室東側、南より三枚目のガラス戸の下段ガラスのうち二枚を竹棒で叩いて破壊し、関根登雄は同家東北隅の三畳間東表庭において外部から同室内に大谷石(昭和三五年押第五〇号符号一)を投げ込んで同室東側、南より二枚目のガラス戸の最下段ガラス一枚を破壊してそれぞれ右大室春吉所有の窓ガラスを破壊し、以つて七名共同して且つ多衆の威力を示して器物を損壊した

ものである。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)

法律に照すと被告人等の判示所為中住居侵入の点はいずれも刑法第一三〇条前段第六〇条罰金等臨時措置法第二条第三条に、暴力行為等処罰ニ関スル法律違反の点はいずれも同法第一条第一項罰金等臨時措置法第二条第三条に各該当するから、(判示第六の暴力行為等処罰ニ関スル法律違反罪のうち、数人共同して器物を損壊した点と多衆の威力を示して器物を損壊した点とは包括して一罪)、所定刑中いずれも懲役刑を選択し、被告人高村の判示第一および第六の各罪、被告人西田の判示第二ないし第六の各罪、被告人持田の判示第一、第三ないし第六の各罪は各刑法第四五条前段の併合罪であるから、同法第四七条本文第一〇条に従い各被告人につきいずれも犯情の最も重いと認める判示第六の罪の刑に併合加重をなし、その刑期範囲内で被告人等を各懲役六月に処し、情状により刑の執行を猶予するのを相当と認め、同法第二五条第一項に従い本裁判確定の日から各二年間右各刑の執行を猶予することとし、訴訟費用の負担につき刑事訴訟法第一八一条第一項本文第一八二条を適用する。

(弁護人等の主張に対する判断)

弁護人陶山圭之輔は「被告人等の判示第一ないし第五の各所為はいずれも正当な争議行為であり、労働組合法第一条第二項本文により罪とならない。」と主張し、弁護人上条貞夫は「被告人等の判示第六の所為は争議中会社側のなした違法且つ挑発的な暴力行為に対する正当な抗議活動である。」と主張する。しかしながら、被告人等のなした判示各所為は、被告人等の動機ないしは目的が奈辺にあれ、判示認定の行為の態様に鑑みるときは、本件労働争議全般の事情を考慮してもなお手段方法において正当性の限界をこえ、適法な争議行為とは認められないので弁護人等の主張はいずれも採用できない。

(一部無罪の理由)

公訴事実中共同して且つ多衆の威力を示して脅迫したとの事実の要旨は「被告人等は関根登雄、家泉友吉、小暮佚矢、小林正作と共謀のうえ、昭和三五年五月一日午後八時頃株式会社大室木工所代表取締役である熊谷市宮本町七六番地大室春吉方居宅前路上において、同所附近に居合わせた熊谷地区一般合同労働組合大室木工所支部員等数十名とともに、たまたま同会社取締役増田武および工員大室英二が右大室春吉方に入ろうとするのを阻止しようとしたことに端を発し、右大室春吉方玄関前に押し寄せ、前記支部員等の喚声に和し、「社長出て来い、この儘ではすまされないぞ」「こんな家はぶち壊すぞ」、「火をつけて燃やすぞ」、「留公出て来い、ぶち殺すぞ」等とこもごも怒号し、大室春吉の身体、財産並びに同人方に居合わせた前記会社工員伊藤留治の生命、身体にそれぞれ危害を加えるかも知れない気勢を示して畏怖せしめ、もつて共同して且つ多衆の威力を示して脅迫したものである。」というのである。

よつて按ずるに、被告人等は関根登雄、家泉友吉、小暮佚矢、小林正作外第一組合員およびその家族等四、五〇名とともに、前記増田武、大室英二および警備員等によつて簡単に社長居宅正門前の第一組合員等のピケを突破され、且つその際第一組合員小林勝次が警備員等と揉み合い、バリケードの有刺鉄線に触れて負傷し、また警備員より暴行を受けたところ、小林の右負傷を警備員より暴行を受けた結果と考えて憤慨し、会社の責任者たる社長に対し警備員の暴行について抗議を行うべく、また居合わせた警察官に対し犯人の逮捕を要求せんとして社長宅玄関前に至つたことは前示認定のとおりであり、しかして判示第六について掲記の各証拠によるとその際被告人西田は右玄関前において「社長出て来い、今夜はこのままではすまされないぞ、暴力団を雇つただけの度胸があるなら出て来い。」と、家泉友吉は同所で「出て来いというんだよ。」と各怒鳴つたことが認められる。しかしながら、被告人等および関根登雄、家泉友吉、小暮佚矢、小林正作のいずれかにおいて公訴事実記載の右以外の脅迫的言辞を発したことを認めるに足りる証拠はない。そこで被告人西田および家泉の右発言が果たして脅迫行為として違法性を有するか否かについて検討するに、凡そ争議中ピケを行なつている労組員がピケの意図する当該の対象たる会社側役職員、警備員および第二組合員によりピケを強行突破され、且つ労組員の一部がピケの突破に絡んで負傷し、警備員より暴行を受けた事跡のある場合において直ちに会社の責任者たる社長に対しその抗議をなすが如きことは、その手段方法にして社会的に正当視される範囲に止まる限り、正当な争議行為に該当するものというべきである。しかしてその手段方法として社会的に正当視されるべき範囲は、争議行為の特質に着眼するときは、これを固定的に解すべきものではなく、労働争議における当事者双方の諸般の事情を勘案し、基本的人権と、労使の実質的平等を確保せんとする労働者の権利との調和を図る見地より流動的にその範囲を劃すべきものと解するのを相当とし、争議の過程において、たとい激越な発言や不穏当の言動があつたとしても、事情のいかんによつてはこれが必ずしも正当な争議行為の範囲を逸脱しない場合があり得るものといわなくてはならない。しかして被告人西田および家泉のなした前記発言はその内容および発言の態様に多少の激越、不穏当の廉のあることを否めないにしても、右発言をなすに至つた前示認定の諸事情を勘案すればいまだ正当な争議行為の範囲を逸脱しないものと断定するのが相当である。従つて被告人西田および家泉の右各発言は結局労働組合法第一条第二項本文にいう正当な争議行為であつて刑法第三五条により違法性が阻却され罪とならないものというべきであり、他に公訴事実記載の如き脅迫行為を認むべき証拠がないことは前述したとおりであるから、右公訴事実は犯罪の証明がないことに帰し、刑事訴訟法第三三六条に則り無罪の言渡をなすべきものであるが、右公訴事実は判示第六の犯罪と処断上一罪の関係にあるものとして起訴されたものであるから特に主文においてその言渡しをしない。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 伊沢庚子郎 伊藤豊治 羽生雅則)

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